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金や金貨には、人々を魅了する魅力があります。金は金貨として流通させる以外に、装飾品としても使われてきました。また、金は富や権力の象徴でもあります。だから、これまで多くの権力者が、自分の力を誇示するために金を利用してきました。
金とはどんなもので、いつ頃から人類と関わってきたのか、詳しく見ていきます。
世界で流通する金貨にはどのようなものがあるのか、見ていきましょう。
歴史的価値のある金貨とは、一般的には古い時代に作られた金貨ということになります。いわゆる「年代物」の金貨のことです。古い時代に作られた金貨で、名前を聞けば多くの人が知っているような金貨のことを指します。金貨とは、金を素材として作られた貨幣のことです。金貨は銀貨や銅貨とともに、お金として使われてきた歴史があります。金貨といってもすべて金でできているものは少なく、銀や銅などを混ぜたものが大半です。
金だけで作ると費用がかかるのと、金は柔らかいので他の金属と混ぜる必要があるため、合金の金貨が多いのです。世界で最初に金貨が作られたのは、紀元前7世紀頃のリディアというのが定説となっています。その後に作られた、1251年のフィレンツェ金貨や1276年のダカット金貨などが、歴史的価値のある金貨の例として挙げられます。もしこれらの金貨を持っている方がいましたら、ぜひ査定して現在の価値を知っておくといいでしょう。
手元にある金貨が、歴史的な金貨かどうか知りたいなら、金貨を専門に扱っている買取業者を訪ねてみましょう。また、権威のある鑑定機関に持ち込んで、鑑定してもらうこともできます。アンティークコインの鑑定を行っている権威ある鑑定機関として、PCGS社とNGC社が挙げられます。どちらもアメリカにあるので、金貨を郵送すれば鑑定してもらえます。また、アンティーク金貨の専門誌を使って、自分で金貨の価値を調べることも可能です。
ただし、価値のある金貨にはレプリカも多いので注意しましょう。レプリカの金貨は、レプリカであることを明言した上で販売されるのが通常です。そのため、レプリカを本物と間違えることはまずありません。しかし、オークションサイトなどで個人が出品する場合は、レプリカを本物と偽って販売する可能性もあるので注意が必要です。
金貨買取の基本となるのは、売買したい金貨と金の相場ということになります。近年、貴金属の価格が高騰しているので、過去に購入した貴金属を現金化しようとする人が増えています。金貨などの貴金属を売りたい人が増えたので、買取業者も多くなってきました。バブルの時期に金貨を買った人が多いので、現在現金化されている金貨はこの時期のものが多いようです。
金の買取は、金貨だけでなく金でできたものなら何でも買取可能です。金は容易に溶かすことができるので、加工がしやすいため、どんな形であっても金製品であれば高価買取してもらえます。壊れた貴金属でも、金製品であれば高値で取引されるので、タンスの中で眠っている金製品があれば買取に出しましょう。
金貨を売りたいなら、日本の場合は金の買取業者の店舗まで持参するのが一般的な方法です。また、出張買取や宅配買取、オンライン買取なども増えているので、自分に合った買取方法を選ぶことができます。金製品を買取業者に持ち込むと、査定士が査定して買取金額が決まります。その金額に納得すれば買取が成立し、納得できなければ、他の店舗で査定してもらうことになります。
海外の金貨買取も、ほぼ同様です。海外でも多くの場合、金貨を店舗に持ち込んで査定してもらいますが、日本と同様に出張買取や宅配買取、オンライン買取なども増えています。オンライン買取は簡単で便利なので、今後ますます増えていくでしょう。
金相場は毎日更新されるので、ネットでチェックすれば最新の金相場がわかります。ネットが普及する前は、金相場は新聞でチェックするしかありませんでした。しかし、新聞に載っている相場は昨日の情報ですから、最新の相場ではありません。それがネットの普及によって、リアルタイムに金相場がチェックできるようになりました。金相場は毎日変わりますが、その変わり方はほんの微々たるものです。
しかし、毎日金相場を眺めていると、売るタイミングと買うタイミングがわかるようになります。もちろん、金の相場は日本だけでなく、世界中にあります。世界の金相場に合わせて、日本の金の価格も決まります。ネット時代の現代は、金相場がリアルタイムにチェックできるので、金の売買がしやすい時代と言えるでしょう。
世界の地域ごとの金貨について、調査してみましょう。珍しい金貨や、貴重な金貨が見つかるかもしれません。
アジアの金貨にはいくつかの特徴があり、刻印にも独自の規定があります。日本の金貨に比べると、金の含有量にばらつきがあるため、買取には慎重にならざるを得ません。ただし、一般的には高い純度の金貨が多いようです。特にインドや中国には、24金(純金)や22金(純度91.7%)の金貨が多く存在します。高純度の金貨は鮮やかな金色をしているので、見た目に美しく質感が滑らかです。
アジアの金製品には刻印が入れられることが多いのですが、中国の金製品に999の刻印があれば純金であることを表しています。また、インドでは金は富や豊かさの象徴であるだけでなく、宗教的な儀式の場でも重要な役割を果たしています。このように、ひと口にアジアの金貨といっても、国によって金の使われ方や意味合いには、かなりの違いがあるようです。
アフリカの金貨で有名なのは、クルーガーランド金貨です。この金貨は、南アフリカ共和国造幣局が発行する地金型金貨で、一時期は日本でも流行したことがあります。クルーガーランド金貨には、クルーガーランド元大統領の横顔が彫ってあり、地金型金貨の先駆けと言われる金貨で純度は91.67%の22金です。
製造枚数は合計で5,000万枚ほどあるので、世界中で見かけることの多い金貨でもあります。しかし、アパルトヘイトへの抗議として、世界各国で輸入が自粛となり、現在は限定品としてわずかに製造販売されている、貴重な金貨となっています。日本でも、クルーガーランド金貨を持っている人は多いようですが、買取に出すと高値で取引されます。
アメリカには、ウルトラハイレリーフ金貨という、2009年だけに発行された金貨があります。とても希少性が高いので、買取に出すと高値がつきます。1907年に発行された、セント・ゴーデンス金貨の復刻版として作られた金貨で、コレクターの間では「ウルハイ」と呼ばれることもあるようです。金貨の表には自由の女神、裏には鷲がデザインされているので、いかにもアメリカらしい金貨と言えます。
また、アメリカにはバッファロー金貨やイーグル金貨、インディアン金貨などの珍しい金貨もあるので、一部のコレクターの注目を集めています。ちなみに、1907年製と1933年製のインディアン金貨は、現在流通量がほぼゼロなので、もし持っているとかなりの高値がつきます。持っている方がいたら、査定だけでもしてみましょう。
オーストラリアにはナゲット金貨という、ちょっと変わった名前の金貨があります。1986年〜1989年まで発行されていたカンガルー金貨の一種で、この4年間に発行された金貨だけナゲット金貨と呼ばれます。ナゲットとは「金塊」のことで、金貨の裏面に金塊が描かれているのでこの名前がつきました。ちなみに、金貨の表面にはエリザベス女王二世が描かれています。
このほかに、オーストラリアには「ウェルカムストレンジャー発見150周年記念金貨」、「干支金貨」、「コアラ金貨」などのユニークな金貨があるということです。干支金貨は中国をターゲットにした金貨で、表面にはエリザベス女王二世、裏面には中国十二支の動物が描かれています。もちろん、毎年動物が変わるので、それに合わせて裏面のデザインも変わります。1996年に発行された金貨の干支はネズミでしたが、12年後の2008年のネズミは違うデザインで、コレクターを楽しませる工夫がされています。
イギリスには、ブリタニア金貨があります。1987年から発行されており、表面にはエリザベス女王二世、裏面にはイギリスを擬人化したブリタニア女神が描かれています。22金なので24金より少し硬く、傷がつきにくい金貨です。そのため24金より扱いやすいので、興味のある人は買ってみてはいかがでしょうか。
また、フランスにはナポレオン金貨があります。1852年~1870年まで発行されていた金貨で、表面にはナポレオン三世が描かれています。発行数が多く現在も市場に流通しているので、希少性が低い金貨でもあります。そのため、買取に出しても金相場の価格と、ほぼ同等の値段しかつきません。ただ、歴史上の人物が描かれているので、その点では価値があるとも言えます。
アジアを5つの区域に分けて、それぞれどんな金貨があるのか見てみましょう。
ユーラシア大陸には、古代よりさまざまな民族が住んでいます。その中の1つがスキタイ人です。中央アジアを拠点としていた遊牧騎馬民族で、紀元前7世紀から紀元前3世紀頃には、黒海北岸を中心に、ユーラシア大陸の中央を支配していた屈強な民族です。スキタイ人は、金を用いた装飾品を多く作りました。
最初は、単純な作りの装飾品が多かったのですが、そのうち複雑な模様を彫るようになり、細線細工や粒金細工といった金属加工技術を取り入れて、金を加工するようになりました。動物の模様が好まれ、首飾り、耳飾り、腕輪、指輪などのアイテムが残っています。また、中央アジアにはケルト人も住んでいました。金や青銅を素材とした装飾品を多く作り、古代ギリシアとの交流で、珊瑚や七宝細工なども作っていたようです。
東アジアの大国といえば中国です。中国は金を産出していましたが、金よりも銀のほうが価値があるとされていました。中国は国内で金を産出し、さらに周辺の国を征服して金を奪ったために、大量の金が集まりました。しかし、貿易によって国内の金が海外に流出し、金の保有量が減っていきます。唐の時代になると、貨幣が流通するようになりますが、金が通貨になることはありませんでした。
ちなみに、中国で金が装飾品として使われるようになったのは、紀元前770年頃からでした。頭飾り、耳飾り、首飾り、腕輪、指輪などの装飾品が用いられましたが、出土する首飾りで、一番古いものは1万年以上前のものということなので、さすがは中国といったところでしょう。
ネパール王国には、アサルフィ金貨があります。1998年に発行された新しい金貨で、発行枚数が少ないため、歴史がない割に中古市場で高値がつきやすい金貨です。アサルフィ金貨には、ネパール王国の野生動物が描かれており、カラーコインという珍しい金貨です。描かれている動物は親子の象、トラ、サイ、ヒョウの4種類で、カラーで描かれています。アサルフィ金貨は品位99.99%の純金製で、発行枚数は2000枚しかないので、希少価値があります。もし所有している方がいたら、買取店で査定してもらえば、その価値がわかるでしょう。
東南アジアには、過去に大きな統一国家が形成されなかったという、特殊な事情があります。そのせいもあって、貨幣は流通しましたが金貨はあまり使われてきませんでした。東南アジアのスマトラ島には、シューリービジャヤ帝国の「20ラティ金貨」があります。シューリービジャヤ帝国は、7~14世紀に栄えた国で、中国とも交流があったようです。パレンバンを中心に海洋交易で栄え、一時はセイロン島やフィリピンのルソン島まで、配下におさめる大国になりました。東南アジアにある金貨は、この20ラティ金貨くらいで、あとは銀貨や錫貨しかないようです。
硬貨の中で一番古いのは、紀元前7世紀にリディア王国(現在のトルコ西部)で作られた、「エレクトラム硬貨」です。エレクトラム硬貨は金と銀の合金で、金と銀の量が違う硬貨が何種類かあったようです。硬貨の表面には、リディア王の紋章であるライオンの絵柄と、その硬貨の重さが刻印されていました。硬貨の大きさは決まっているので、金と銀の含有量の違いによって、硬貨の重さが変わります。そのため、重さを計ればその硬貨の価値がわかるので、あらかじめ重さを計って刻印することにより、硬貨の価値がひと目見てわかるようになりました。それは当時の硬貨としては、画期的なものだったようです。
アフリカには、他の地域にはないような、珍しい金貨があるのでご紹介しましょう。
ドイツ領東アフリカには、「象」という15ルピー金貨があります。ドイツ領東アフリカは、タンガニーカのドイツ植民地で、1904年まではドイツ東アフリカ会社が統括していました。1916年に製造された金貨は重さが7.17gあり、150万円前後で取引されています。この15ルピー金貨は、デザイン性の素晴らしさから収集家の間で人気となりました。
「1916T ウィルヘルム2世 15ルピー 金貨」も、同じくドイツ領東アフリカで鋳造された金貨です。重さは7.1680gで、168万円前後で取引されており、発行枚数は6,395枚となっています。
南アフリカには、「ポール・クリューガー ポンド金貨」があります。重さが7.98gあり、260万円前後で取引されています。かなり高値なので、持っている方いたら買取に出してみましょう。南アフリカ共和国は、現在の南アフリカ連邦の一部です。以前はトランスヴァールと呼ばれた国で、金貨には同国の元大統領ポール・クリューガーの肖像が、デザインされています。
同じく南アフリカには「クルーガーランド金貨」もあります。南アフリカ共和国造幣局が発行する地金型金貨で、日本でも人気を博したことのある金貨です。純度は91.67%(22金)で、1/10oz、1/4oz、1/2oz、1ozの4種類あります。表面にはクルーガー元大統領の横顔、裏面にはスプリングボックという、南アフリカ共和国を象徴する動物がデザインされています。
フランス保護領チュニジアで発行された20フラン金貨は、重さ6.4516gで発行枚数837,241枚です。当時のフランスで発行されていた、20フラン金貨と同じ規格で造られており、フランス語・アラビア語併記の文字だけのシンプルな金貨です。イスラム教の教えに従って、偶像崇拝を忌避した結果、このようなデザインになりました。
アルジェリアには、「マシニッサ 5ディナール金貨」「アブデルカデル 2ディナール金貨」「マフムト2世 1スルタニ金貨」「マシニッサ 5ディナール金貨」など数多くの金貨があります。これらの金貨は、アルジェリアの歴史を語る上で意義のあるアンティークコインで、歴史的にも価値があるため、収集家の間で人気となっています。もしこれらの金貨を持っていたら、どれくらいの価値があるか査定してもらいましょう。
南部アフリカには、南アフリカ共和国造幣局発行のクルーガーランド金貨があります。クルーガーランド金貨は、南アフリカ共和国造幣局発行の地金型金貨で、1トロイオンス(約31.1g)の金を含んでいる22金の金貨です。鋳造枚数は約5000万枚で、表面には南アフリカに位置したトランスヴァール共和国の元大統領、ポール・クリューガーの肖像が描かれています。
枠部分は18金で造られており、直径19㎜程度と目立ちすぎず、女性の胸元にちょうどおさまりの良い大きさであることが、人気の1つの理由となっています。シンプルなコイントップは、トップの定番デザインで、飽きがこないのも人気の秘密のようです。
西アフリカのギニア沿岸地域には、「ギニー金貨」があります。東インド会社の紋章から着想を得た現代風のデザインで、英国の富、権力、名声を象徴する伝説的な金貨の1つです。表面には、セントヘレナ政府と英国王室により正式に承認された、チャールズ3世の肖像が描かれており、裏面にはライオンが盾の上に立ち、背景には最初のギニー金貨に使用された笏が描かれています。
東洋ではギニー金貨が、英国・東インド会社の公式通貨として取引されていました。西アフリカの金はかなり古い時代から採掘されており、サハラ砂漠を通ってアフリカ北部の沿岸地帯にも伝わっていたようです。アフリカの装飾品の歴史はまだ謎に包まれた部分が多く、金の流通についてもよくわかっていない点が数多くあります。
広大な面積の南北アメリカにも、ユニークな金貨があるようです。
北アメリカには、リバティ金貨とイーグル金貨があります。この2つはしばしば混同されますが、それぞれ特徴があります。両方のコインには自由の女神が描かれていますが、その描かれ方には大きな違いがあります。リバティ金貨に描かれた自由の女神は横を向いており、これはアメリカの自由の象徴としての女神の古典的な描写です。一方、イーグル金貨に描かれた自由の女神は正面を向いているので、リバティ金貨とは趣が違います。
また、リバティ金貨は額面20ドル、10ドル、5ドル、2.5ドルの4種類がありました。一方で、イーグル金貨の額面は50ドル、25ドル、10ドル、5ドルの4種類です。このように、リバティ金貨とイーグル金貨は似ていると言われますが、いくつかの点で微妙に異なっています。つまり、この2つの金貨は描かれている自由の女神の姿勢、額面の違いによって区別することができるのです。
中米地方に位置するメキシコの黄金文化は、14~15世紀頃に盛んになりました。それまでに、交易品として黄金が入ってくることはあっても、あまり流通することはなかったようです。14世紀頃の、ミシュテカ族の王の墓から発見された副葬品の中には、非常に精巧なつくりの金製品が発見されています。
このミシュテカ族の技術は、その後に興ったアステカ王国にもたらされましたが、スペイン人の侵略に遭い多くが略奪されました。メキシコだけでなく、南米もスペイン人の略奪によって、芸術的な金製品が大量に失われているのは非常に残念なことです。
中央アメリカ連邦共和国には、「太陽と連山 8エスクード金貨」があります。重さは27gで、約600万円前後の買取相場で取引されています。中央アメリカ連邦共和国は、1823年から1839年まで中央アメリカにありました。スペイン領からの独立運動によって形成された国で、アメリカ合衆国をモデルにして建国されましたが、短命に終わりました。20年も存続しなかったため、金貨の発行枚数は5,302枚とごく少数しかないので、高値で取引されています。もし持っている方がいたら、ぜひ査定に出してみましょう。
「太陽と連山」というネーミングの通り、金貨の表面には5つの連山と輝く太陽がデザインされており、さらにその周辺には、スペイン語で中央アメリカ連邦共和国の文字が刻まれています。このエスクード金貨は、直径が35mmもある大型の金貨なので、しっかりとその造形美を堪能できることも、コレクターが注目するポイントのようです。ちなみにエスクードとは、ポルトガルやスペインで使用されていた通貨単位のことです。
ブラジルには、「ペドロ2世 金メダル」があります。重さ85.92gで、発行枚数わずか3枚という超レアなメダルです。ペドロ2世(在位1831年~1891年)は、ブラジル帝国の第2代皇帝であり最後の皇帝です。ペドロ2世の肖像が描かれた金メダルは、ブラジル万国博覧会の際に造られました。
同じくブラジルには、「マリア1世 6,400レイス金貨」があります。重さ14.30gで発行枚数219,000枚、ポルトガル統治下のブラジルで発行されたマリア1世統治時代の金貨です。また、ブラジルには「自由の女神 20,000レイス金貨」もあります。発行枚数 5,119枚で、共和国となったブラジルが最初の貨幣制度で作った金貨です。
同様に、ブラジルには「ジョアン5世 20,000レイス金貨 ミナスジェライス鋳」という金貨もあります。この当時のブラジルはポルトガルの植民地で、有数の金鉱脈があったので、大量の金貨の鋳造ができたのです。
オセアニア地域には、どんな金貨があるのでしょうか。珍しい金貨があることを期待しましょう。
「カンガルー金貨」は、オーストラリア造幣局が発行している法定通貨です。カンガルー金貨の額面は、1オンス当たり100ドルに相当します。また、カンガルー金貨は純金でできているので、地金型金貨として取引されることが多い金貨でもあります。ちなみに地金型金貨は、毎日相場が変動するのが特徴です。
ニュージーランドには、2023年発行の「トコエカキーウィ 10ドル金貨 プルーフ」があります。販売価格は210,000円で、ニュージーランドに生息する、5種類のキーウィを描く人気シリーズです。2023年銘には、野生のキーウィの一種であるトコエカが取り上げられました。ちなみに、コイン裏面の絵柄は、切手や広告などのイラストを手掛けるイラストレーター、スティーブン・フラーの作品が採用されています。
また、2024年銘の最新金貨には、ニュージーランドに生息する5種のキーウィの中で最大級の種、オオマダラキーウィが描かれています。コイン裏面の絵柄は、王立オーストラリア造幣局で、多くのコインデザインを手掛けてきたアーティスト、ステヴァン・ストヤノヴィチの作品が採用されています。
メラネシアはオーストラリアの北東部で、パプアニューギニア、フィジー、ソロモン諸島、バヌアツといった国のほか、フランス領のニューカレドニアも含まれます。パプアニューギニア独立国は、1975年に独立した比較的新しい国で、国鳥である極楽鳥をデザインした金貨が有名です。パプアニューギニアの「極楽鳥 500キナ金貨」は、発行枚数400枚の希少価値のある金貨です。もし持っている方がいたら、ぜひ買取店で査定してみてはいかがでしょうか。
同じくパプアニューギニアの「独立1周年 100キナ金貨」は、重さ9.57g、発行枚数は8,370枚しかないので希少価値があります。パプアニューギニアの独立1周年を記念して造られた金貨で、中心に穴が開いているのが特徴です。パプアニューギニアには、「ゴライアストリバネアゲハ 100キナ金貨」もあります。重さ9.57g、発行枚数5,151枚で、極楽鳥と世界最大の蝶といわれる、ゴライアストリバネアゲハが描かれています。
ミクロネシアの総面積は700平方キロメートルで、日本の奄美大島とほぼ同じ大きさです。ミクロネシアは貨幣経済と伝統的自給経済が混在しており、生産性が低く生活必需品の多くを輸入に依存しています。昔から経済状態がひっ迫しているので、ミクロネシアでは貨幣はあっても、金の流通はほとんどありませんでした。
そのためミクロネシアには、金貨や金を使った装飾品などはあまり見かけることがないようです。このことから、ミクロネシアは金貨や金相場などとは、ほとんど縁がない地域と言えそうです。
「フランス領ポリネシア」は、タヒチの代名詞として知られています。日本から南東に約9,500kmほど離れた、東部南太平洋上に浮かぶ美しい島々で、タヒチ島やボラボラ島、モーレア島をはじめとする、118の島々で構成されています。ポリネシアは、古代にアジア東南の島々から渡来した海洋民族から始まったとされていて、1797年にポマレ王朝が樹立するまで未開の国でした。
地球上最後の楽園として、タヒチやボラボラ島、モーレア島などが名高いポリネシアには、なぜか金にまつわるエピソードがほとんどありません。要するに、ポリネシアは世界の金の流通とは、かけ離れた状態で存在してきたということなのでしょう。この原因として考えられるのは、ポリネシアが多くの島々で構成されているため、大きな国家が成立しなかったのではないかということです。大きな国家がないと、金貨は流通しにくくなります。
では次に、ヨーロッパの金貨を見てみましょう。
「ソリドゥス金貨」は、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝が鋳造発行した金貨です。4世紀から11世紀にかけて、ビザンチン帝国で使用されていました。ビザンツ帝国(東ローマ帝国)でもソリドゥス金貨は継承され、ラテン語のソリドゥスのギリシア語にあたる、ノミスマという呼称で呼ばれるようになります。
「ヒスタメノン金貨ノミスマ」は、1028年から1034年にかけて、「ビザンチン帝国」を統治した「ロマヌス3世」が発行した金貨です。ヒスタメノン金貨の重量は約4.4gで、鋳造から1000年以上が経過しているので、現存している金貨のサイズや重量は一枚ごとに異なります。表面にはキリストの肖像が描かれており、裏面には立った姿のロマヌス3世が、聖母より戴冠される様子が描かれています。このことから、ロマヌス3世をキリストと同等の扱いにして、神格化したかったということが窺えます。
デンマークには、「デンマーク領 西インド諸島 クリスチャン9世 4ダラー金貨」という名前の金貨があります。この4ダラー金貨は、1904年、1905年の2年間だけ発行されたもので、発行枚数は全部で12万枚程度です。表面にはクリスチャン9世が描かれており、外国コイン収集家から注目されています。
フィンランドには、「フィンランド マルッカ金貨」があります。1878年~1913年に発行された金貨で、重さ6.4516gの21.6金です。フィンランドのマルッカは、フランスのゴールドフランと同等の価値があり、金による銀行券の償還は1915年にフィンランドで終了しています。
フィンランドには、「ダブルイーグル 10マルッカ金貨」もあります。ダブルイーグルとは、「双頭の鷲]のことです。表面にはダブルイーグルの紋章があり、裏面には額面金額と年号が刻印されています。フィンランドは1804年からロシア帝国領で、当時のロシア帝国コインと同様に、双頭の鷲が左足に王笏、右足に宝珠をつかんでいるデザインが印象的です。
イタリアには、「イタリア王国建国50周年記念50リラ金貨」があります。1911年に、王国建国50周年を記念して発行された特別な金貨で、表面にはヴィットーリオ・エマヌエーレ3世、裏面には騎士と女神が刻印されています。建国記念の金貨は珍しく、多くのコレクターが注目している価値の高い金貨です。発行枚数は、20,000と少ないので希少価値もあります。
スペインには1729年に鋳造された、「フェリペ5世、8エスクード金貨」があります。1520年代から中南米を征服し始めたスペインは、先住民が保有する大量の金や銀と鉱山を略奪して、莫大な富を蓄えました。当時は、フェリペ2世が統治していた時代でしたが、金貨には「フェリペ5世」の名前があるので、のちに略奪した金を使って作られた金貨ではないかと推測されます。ちなみに、フェリペ2世と同時代のイギリスにはアン女王がいましたが、アン女王の肖像が描かれた5ギニー金貨は、500万円~600万円の高値で取引されています。もし持っている方がいたら、ぜひ査定してもらいましょう。
かつてローマ帝国には、「ソリドゥス金貨」がありました。ローマ帝国のコンスタンティヌス帝が鋳造発行した金貨で、ローマ時代の地中海交易を発展させる礎となった金貨です。
中世前期の西ヨーロッパの装飾品は、頭飾りや首飾り、腕輪、指輪などが主流でした。これはキリスト教の影響で肉体を嫌悪する風潮があったためで、人々はピッタリと体を覆う服装を好んで身に着けていました。そのため、装飾品をつける部位は、頭や首、腕や指しかなかったのです。これらの装飾品には、金が多く用いられていたようです。といっても、必ずしも金そのものではなく、金メッキを施した青銅や鉄の指輪などもありました。
金は古代から使われてきました。ここでは、古代文明と金の関わりを見ていきます。
人類最古の金製品は、紀元前6000年前に、メソポタミアに文明を築いた古代シュメール人が作ったものというのが定説です。シュメール人が築いたシュメール文明は、紀元前3500年頃に、チグリス川とユーフラテス川の間に位置するメソポタミアで栄えた文明です。シュメール人は優れた専門知識を持っていて、金の装飾品も数多く残っています。1924年から1932年にかけて行われた発掘では、金のカップや受け皿、金の頭飾りやブレスレット、ランプなどが多数発見されています。
紀元前3000年紀半ばに統治していたウル王の時代には、ラピスラズリと金で作られた雄牛の頭で装飾されたハープや、ウル王の王妃プアビが使っていた黄金の髪飾りなども発見されました。ウル王の時代には、金をふんだんに使った装飾品が多数出土していることから、かなりの量の金があったことが推測されます。
トラキアは、バルカン半島の一地帯を指す名称で、最古の黄金文明があったことでも知られています。古代のトラキアは、金や銀が多く産出していました。勇猛なトラキアの戦士は、黄金の戦闘服を身に着けて戦ったと言われています。馬にも金の装飾を施していたといいますから、本当に金が豊富にあったことが窺えます。トラキア王国の最盛期の王セウテス3世の墓からは、王冠や杯などの黄金製品が数多く発見されています。
トラキア人にとって、輝きを失わない黄金は、永遠の魂を象徴する存在だったようです。1972年、黒海沿岸の遺跡が発掘されたことをきっかけに、大量かつ精巧な金製品がトラキアで発見されるようになり、かつてこの地に黄金文明と呼ぶにふさわしい文明があったことが、明らかになってきました。2004年8月にブルガリアで発掘された「トラキア王の黄金のマスク」には、実に672gもの金が使われていました。これをきっかけに、トラキアの黄金伝説は伝説ではなく、事実であることがわかってきたのです。
紀元前3100年頃には、エジプトのファラオが身に着ける装飾品に多くの金が使われていました。このことからも、古代エジプトと金は深い関係にあったことがわかります。もともと、古代エジプトが栄えたのは、金の採掘によるものでした。古代エジプトでは金の所有量が国の繁栄を左右するほど、金は国家にとって重要なものだったのです。ツタンカーメンの棺やマスクに代表されるように、金は古代エジプトでも繁栄の象徴でした。
そのため、ツタンカーメンの棺やマスクには、100㎏以上もの金が使われました。しかもすべて23金(純度95.8%)という純度の高い金でした。ちなみに、ツタンカーメンのマスクは、歴史的な価値も含めて時価300兆円ともいわれます。ツタンカーメンはわずか9歳で王として即位し、18歳で亡くなりました。この若き王の面影を宿す黄金のマスクは、現在カイロの考古学博物館で一般公開されています。
「漢委奴国王」の金印は、福岡県の小さな島から出土しました。この金印は2.34センチ四方の大きさで、10円玉くらいのサイズの金塊です。漢委奴国王印が発見されたのは天明4(1784)年、百姓の甚兵衛さんが水田の溝から見つけたものだといいます。この金印の正体を突き止めたのは、亀井南冥(なんめい)という儒学者でした。
南冥はこの金印を、中国の史書「後漢書」に記された、日本からの使いに後漢の光武帝が贈ったものであると断定しました。後漢の光武帝から当時の日本に贈られた金印ですから、大切に保管されてきたと思いきや、お百姓さんが田んぼで拾ったというのですからちょっと驚きですね。漢委奴国王印は、出土した場所が特定されておらず、しかも日本の誰宛てに贈られたのかもいまだに謎のままです。
かつて日本が「黄金の国ジパング」と呼ばれたのは、秋の田園風景を見て、黄金色に輝く稲穂を黄金と見誤ったのが、ヨーロッパに伝えられたというのが、マルコ・ポーロが著した「東方見聞録」に書かれています。しかし、マルコ・ポーロは日本には来ていません。どうやらジパングの話は、マルコ・ポーロが中国で聞いた噂を記述したもののようです。つまり、本当か嘘か根拠もわからない話ということになります。東方見聞録によると、ジパングにある家屋は黄金でできていて、莫大な富があると記されています。
これはおそらく、人から人に話が伝わるうちに、誇張されたものでしょう。ちなみに、ジパングの黄金伝説は、中尊寺金色堂に由来するという説もあります。中尊寺金色堂では、あらゆる場所に金箔が貼ってあるので、その話が誇張されて伝わったとも言われていますが、これもハッキリしません。いずれにせよ、マルコ・ポーロは行ったこともない日本のことを書いているのですから、最初から信憑性の薄い話であることは確かです。
ここでは、中世ヨーロッパと金の関わりについて解説します。
現代では、銀行はとても身近な存在で、私たちは銀行なしには生活もままならないと言っても、過言ではありません。では、銀行が最初に誕生したのは、いつ頃なのでしょうか。世界最古の銀行は、イタリアの「モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行」だと言われています。1472年にシエナ市で誕生したということですから、500年以上の歴史があります。500年以上前から、銀行があったと聞いただけでも驚きますが、銀行のルーツははるか昔に遡ります。銀行のルーツは、紀元前3000年のバビロニア古代王朝時代にありました。
ただし、当時は穀物がお金の代わりをしていました。現在の形に近い銀行が初めて誕生したのが、イタリアのモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行なのです。当時のイタリアは貿易が盛んで、遠く離れた場所とのやり取りを円滑に行うために、為替手形が考案されました。こうして銀行の基礎ができて、今日まで続いているのです。ちなみに、日本の銀行のルーツは、江戸時代の両替商だと言われていますが、お金を貸す商売のルーツは奈良時代にあるということです。日本でもかなり古くから、銀行の原型があったことになります。
インカ帝国は、南アメリカ大陸に存在していた国で、金や銀が豊富にあったために他国の侵略を受けて滅亡しました。インカ帝国は、マチュピチュに代表されるように、高度な建築技術を持っていました。また、豊富にある金を使った、高度な装飾品も数多くあったようです。インカ帝国は、現在のペルー、ボリビア、エクアドル、チリ北部一帯にまたがる広大な領土を擁する国でした。
1200年頃に建国され、15世紀に高度な文明を築き、最盛期を迎えました。その後スペインのピサロに征服され、1533年に滅亡してしまいます。征服されたインカ帝国は、多くの人民の生命とともに、高度な金・銀装飾品や建築技術も失われました。インカ帝国には貨幣も文字もなかったので、なぜ高度な文明が持てたのか依然として謎のままです。
貨幣がなければ経済も発展せず、文字がないと文明も発達しないはずだからです。インカ皇帝アタワルパは、8万の軍勢で征服者ピサロを迎え撃ちましたが、ピサロはわずか168人でインカの軍勢を破りアタワルパを捕らえました。インカ帝国には鉄製の武器がなかったので、最新の武器を持つピサロ軍に敗退したのです。
ここに至って、インカ帝国は終焉を迎えることになります。インカ帝国には豊富な金があったと言われていますが、その多くは現在でも発見されていません。征服者ピサロが略奪したとか、インカ帝国民がどこかに隠したとか言われていますが、真相は謎のままです。
錬金術とは、金以外の物質から金を作ろうとして発展した技術です。金は貴重なもので、所有していれば大金持ちになれるので、何とかして金が作れないかと、多くの人がチャレンジしましたが、もちろん金以外の物質から金は作れません。錬金術の歴史は紀元前1世紀頃まで遡り、古代ギリシアや古代エジプト時代にはすでにあったとされています。錬金術は偽物ですが、錬金術によって作られた物質は金に似ていました。
だから当時は、それを本物の金と思い込んでいたのです。錬金術はまやかしですが、悪いことばかりではありません。錬金術によって、合金の技術が発展したのです。錬金術で作られた合金の中には、真鍮もありました。真鍮は銅と亜鉛の合金ですが、見た目が金色で金そっくりに見えるので、当時錬金術で作ったとされる金は、真鍮だったのかもしれません。
ソブリン金貨は、18世紀からイギリスの通貨として流通しており、現在も地金型金貨として発行されています。近年金相場が上がっているので、ソブリン金貨も投資筋から注目されています。ソブリン金貨とは、イギリスの1ポンド金貨のことで、1489年に発行されたのが最初です。当時イギリスは、世界に冠たる大国だったので、1929年の世界恐慌でイギリス経済が傾くまで、ソブリン金貨が国際通貨として使われていました。
ちなみに、ソブリンとは国王を意味する言葉で、最初に作られた1ポンド金貨に、当時のイギリス国王ヘンリー7世の肖像画が描かれたことから、ソブリン金貨と呼ばれるようになりました。ソブリン金貨には「金としての価値」と「歴史的な価値」があるため、多くのコレクターが注目しています。もし手元にソブリン金貨があったら、買取業者に査定してもらい、現在の価値を知っておくといいでしょう。
金とはいったい何なのか、あらゆる方面から探ってみましょう。
金には優れた展延性があります。展延性とは薄く延ばせるという意味で、金は1グラムで約3000メートルもの長さの金糸や、さらに極薄にした金箔に加工することもできます。これは、他の金属にはない金独特の特徴です。だから、金はネックレスや、複雑な装飾品を作るのに適しているのです。また、金は他の金属に比べて錆びにくく、年月がたっても退色したり腐食が少ないのも、大きな特徴と言えるでしょう。だから金には「不変の輝き」があるのです。
また、金は他の金属に比べて、非常に柔らかい金属です。だから展延性があるのですが、柔らかく変形しやすいと普段使いには向きません。そこで、銀や銅などを混ぜて合金にすることで、硬くて普段使いしやすい金属に変えて使われます。金は融点が低いため、どんな形であっても、溶かせば再び別の金として輝きを放つことができます。このように、半永久的にリサイクルできるのも、金だけが持つ特徴です。
金は貴金属と呼ばれ、他の金属とは別の存在です。だから、他の金属が武器や道具などの、実用品として使われることが多いのに対して、金は装飾品として使われてきました。では、人々はいつ頃から、金を利用してきたのでしょうか。実はあらゆる金属の中で、人類が初めて発見した金属は金であると言われています。つまり、金は文明の始まりから、人類とともにあったのです。この傾向は今でも変わりません。
やがて、多くの金を所有することが、権力者の証となっていきます。いつの時代も、大きな権力を持つ者が多くの金を所有してきました。それは今も同じで、今後も変わることはないでしょう。
純金とは、混ぜ物が一切ない金のことで、99.9%以上の純度があるものを指します。純金は非常に重い物質で、1立方cmあたり19.3gほどあります。ちなみに銀は10.5g、鉄は7.9gですから、他の金属と比べてもかなり重いことがわかります。金や純金は酸やアルカリなどにも反応しない、非常に安定した金属です。金は、純度ほぼ100%の純金のほか、別の金属を混ぜて合金にしたものもあります。
金の純度は、24分率で重量比率を表すカラット(Karat)という単位を使い、頭文字「K」と比率を表す数字で表現されます。純金は、24分率のうち全部を金が占めるので、「K24」となります。ジュエリーなどによく使われるK18は、24分の18が金でできているという意味です。K18は、75%が金で25%が他の金属でできています。ジュエリーにK18が多いのは、他の金属を混ぜて金を硬くして、ジュエリーが壊れにくくしているからです。
金の歴史は、古代エジプトにまで遡ります。最初は純金だけでしたが、純金は柔らかすぎるので、硬さを増すために他の金属を混ぜる方法が考案されました。こうして、純金と混ぜ物を入れた金が生まれたのです。つまり、純金と金は純度の違いがあるだけなのです。金や純金は、古くから人々を魅了してきました。
権力者は金をふんだんに使って、自分の力を誇示する材料にしました。現代でも多くの金を持つことが、富の象徴であり権力者の証となっています。どんなに文明が発達しても、人々の心は変わらず金も変わらない輝きを放っています。
これまでに採掘された金の総量は、約20万トンと言われています。金は限りある資源で、まだ採掘されていない金は、わずか5万トンしかないと推定されています。ただし、5万トンというのは現代の技術で採掘可能な金の量です。今の技術では、地下10㎞にある金は採掘できませんが、将来は可能になるでしょう。
つまり、採掘技術が進歩すれば、採掘可能な金はもっと増えることになります。金の使われ方も、時代とともに変わってきました。以前は装飾品としての利用価値しかなかった金が、今ではパソコンなどの、精密機械に欠かせない部品として活用されています。
金・金貨についての概略をまとめてみました。
今後は、国ごとに金貨やコインの種類とその歴史に関する記事を増やしていきますので、ぜひご覧いただければと思います。
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