「フランツ・ヨーゼフ1世」は、18歳の若さでオーストリア皇帝です。即位直後から苦難の道のりが続きます。
ハンガリー革命運動、イタリア統一戦争があり、「フランツ・ヨーゼフ1世」がオーストリア皇帝兼ハンガリー王に即位する二重統治体制でした。
息子「フランツフェルディナント皇太子」殺害事件を発端に第一次世界大戦に突入、その半ばに逝去しました。
1848年革命といわれるヨーロッパ全土で起こった一連の革命は、当時のオーストリア皇帝「フェルディナント1世」を表舞台から引きずり下ろします。
この混乱の中、ハプスブルク家後継者として育てられたフランツは、18歳で「フランツ・ヨーゼフ1世」(在位1848年―1916年)としてオーストリア皇帝に即位します。
しかし、即位してから70年近い間は、苦難の道のりが続いた在位でした。
即位後の1849年ハンガリー革命運動が起きますが、ロシアの援助によりこれが収まります。
1859年北イタリアで起こったイタリア統一戦争では、ロンバルディア(イタリア北西部内陸の州)を失いますが、ヴェネツィア(イタリア北東部)などを確保して終わります。
1866年の普墺戦争(プロセイン=オーストリア戦争)の結果、プロイセンに敗れオーストリアは国内体制の変更を迫られます。
1867年3月ハンガリー王国の独立を認めると共に「フランツ・ヨーゼフ1世」がハンガリー王を兼ねる二重統治体制(オーストリア=ハンガリー帝国)をとることで、オーストリア帝国が抱えていた多民族国家の弱点の克服を目指しました。
1873年に入るとオーストリアのバルカン半島進出で、スラブ系民族とその背後にあるロシアとの対立を深めます。
1878年の露土(ロシア帝国とオスマン帝国)戦争の後、オーストリアのボスニア・ヘルツェゴヴィナの統治権が認められますが、1908年にはボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合を行ったためセルビアが強く反発します。
そうした中、1914年6月オーストリア皇太子「フランツフェルディナント」夫妻がセルビア人青年に殺害されたことから、セルビアに宣戦布告し、それが第一次世界大戦への導火線となり第一次世界大戦が開戦。
そして開戦中「フランツ=ヨーゼフ1世」が亡くなります。
ところで、私生活においては「悲劇の皇帝」と言われました。
息子の「ルドルフ皇太子」の心中、1867年には弟のメキシコ皇帝「マクシミリアン1世」のメキシコでの処刑。
そして1898年に最大の衝撃が走ります。皇妃「エリザベート」が旅行先のスイスのジュネーヴ湖畔でイタリアの無政府主義者によって命を落とします。
こうした多難な「フランツ・ヨーゼフ1世」でしたが、国の象徴であり国民からは「国父」と呼ばれ崇拝を受けました。
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