ニコライ2世が最後の皇帝となった長期のロマノフ王朝は専制国家。「皇帝ニコライ2世」の19世紀末期以降、国民のロマノフ王朝への不満が高まりました。
日露戦争の敗戦などを契機に社会主義革命が活発化、「ニコライ2世」はロシア3月革命が進行する中で皇帝を退位しました。
ロシアで長いあいだ治世していたロマノフ王朝が1917年3月、崩壊します。その最後の皇帝が「ニコライ2世」でした。
以後、社会主義国のソビエト連邦が建国されるわけですが、ロマノフ王朝「元」皇帝であり、ロシア最後の皇帝となった「ニコライ2世」とその家族には、悲劇的な結末が待ち受けていました。
まず簡単にロマノフ王朝とはどんなものであったのか見てみたいと思います。
ロシアの名だたる貴族であったミハイル・ロマノフによって1613年にロマノフ朝が開かれます。その300年の長い歴史の間に、絶対的権力を有し専制国家を作り挙げた「ピョートル大帝」や「エカチェリーナ2世」などが誕生しました。
しかし19世紀ロマノフ王朝末期頃になると、国民の間に専制政治に対する不満や農奴解放(農民を農奴の地位から解放し、自由な民とすること)など封建制社会から自由主義運動が高まり、近代社会への機運が高まっていきます。
これに対して1894年に皇帝に即位した「ニコライ2世」は徹底した弾圧で臨んだため、社会主義者等による革命思想はより活発化していくことになります。
そして大きな転換点となったのが1904年の日露戦争での敗戦でした。ロシアの多くの国民は蜂起し、1905年に第1次ロシア革命が起きました。
その後1914年には第一次世界大戦での敗戦の結果を経て、民衆が再び決起し、起きたのがロシア三月革命といわれるものでした。革命の進行に伴い「ニコライ2世」は、退位を余儀なくされ最後のロシア皇帝・ラストエンペラーとなります。
その後、1918年シベリアに抑留された「ニコライ2世」は、家族共々最後を迎えます。
「ニコライ2世」の「ルーブル金貨」は、1897年から1911年の間に発行され、表面にはロシア皇帝ニコライ2世の肖像が描かれています。
ロシア帝国 皇帝ニコライ2世 「5ルーブル金貨」、 「7.5ルーブル金貨」、「10ルーブル金貨」、 「15ルーブル金貨」、「25ルーブル金貨」の5種類が鋳造されています。
このうち「7.5ルーブル金貨」、「15ルーブル金貨」、「25ルーブル金貨」については、鋳造・発行期間が短期間なことや発行数自体が極端に少なくなっており、高い買取り価格が期待できるといいます。
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