大河ドラマで知った織田信長の生涯に興味を持ち、家族と訪れた織田信長ゆかりの「岐阜城」。その資料館で好きな織田信長が旗印とした「永楽通宝」に出会いました。幾つかの「永楽通宝」を買い求め、「織田信長」や「永楽通宝」の価値などについて知りました。
大分、前のことになりますが「信長KING OF ZIPANG」というNHKの大河ドラマを観ました。ポルトガル人宣教師の目を通して「織田信長」の生涯と、激動の時代そのものを捉えたドラマでした。
このドラマを観て、私は「織田信長」という人間の生き様に興味を抱くようになりました。
そうしたことから数年前、岐阜城を父母や家族と訪れました。
金華山の山頂に天守を構える「岐阜城」。その「岐阜城」から見る雲海の眺め、戦国時代に美濃の「斎藤道三」が居城にしていた後、1567年(永禄10年)に「織田信長」が城主となり、天下婦布武の拠点としました。
岐阜城内に資料館には、織田信長関連の品が展示されています。
「織田信長」や「濃姫」の肖像画をはじめ、古文書、楽市楽座令の立て札、武具、刀剣などがあり、その中に混じって「天下布武の印」と「永楽通宝(複製)」などが展示されていました。
その歴史に触れた後は、楼上の展望台から広大な濃尾平野が見渡した思い出があります。
「織田信長」は出陣に際し、「永楽通宝」を図案化した旗印を使用しており、後日、好きな「織田信長」が旗印・軍旗としていた「永楽通宝」を買取店で出向き、幾つか買いました。
ところでの国内で流通・使用されている通貨には、当時の幕府が発行したものはありませんでした。
こうした中「永楽通宝」は室町時代中期以降、中国・明朝より大変多くの枚数が輸入され、国内の通貨として使われました。そして、その「永楽通宝」は、江戸時代初頭まで実際に流通しました。
一方、「織田信長」と「日明貿易」そして「永楽通宝」の繋がりについては、詳しいことは明らかではありません。
唯、「織田信長」は「楽市楽座」を始めるなど経済・商業活動を重視していたと言われていることから、当時大量に流通していた「永楽通宝」への関心が高かったのではないかと言う見方もあります。
「永楽通宝」の種類としては3つの銭貨(金銭・銀銭・銅銭)あります。
古銭に詳しい知人の話によると、金銭や銀銭は、原材料の価値に加え、発行枚数が少ないということもあり売却の場合には、高い価値が見込めるといいます。
一方、銀銭は銅の低廉な素材に加え、発行枚数が多いということから、高い価値での売却は期待できそうもないそうです。
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