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モンテネグロは、2006年にセルビア・モンテネグロから独立を回復した、長い歴史を持つ国です。二度にわたる紛争を経験し、民衆も国土も疲弊しましたが、モンテネグロの人々は明るく元気に暮らしています。そんなモンテネグロには、どんなアンティークコインがあるのでしょうか。

モンテネグロは、ヨーロッパ南東部のバルカン半島に位置する共和制の国であり、ユーゴスラビア連邦共和国およびセルビア・モンテネグロを経て、2006年6月3日に独立を宣言しました。モンテネグロは古くから国家としての歴史を持ち、1878年にはベルリン条約によって独立が国際的に承認され、1910年には王国となりました。第一次世界大戦後にセルビアへ編入されましたが、2006年に独立を回復しています。
日露戦争では、ロシアを支持する形で日本に対して宣戦布告を行ったものの、モンテネグロと日本の間には講和条約が結ばれなかったため、両国の間には長く「形式上の戦争状態」が残るという、非常に珍しい歴史的経緯がありました。
モンテネグロの首都はポドゴリツァで、行政・政治の中心となっています。一方、ツェティニェは歴史的な王都であり、現在も「旧王都」として重要な位置付けを持っています。

モンテネグロの大まかな歴史をご紹介します。長い間オスマン帝国の影響を受けながら独自の統治を維持してきたことが、モンテネグロの歴史の特徴です。
・1516年
この頃、ツェティニェの主教公による統治体制が成立しました。16世紀から19世紀にかけて、モンテネグロでは主教公が世俗的な統治者としても国を治める体制が続きました。長い間オスマン帝国の圧力を受けながらも、独自の統治を維持していきました。
・1878年
露土戦争の講和をめぐるサン・ステファノ条約とベルリン条約を経て、1878年7月13日にベルリン会議でモンテネグロの独立が国際的に承認されました。この時点での国名・国家形態はモンテネグロ公国であり、王国となるのは1910年です。
・1991年
ユーゴスラビアが解体へ向かう中、モンテネグロはセルビアと連携する道を選びました。1992年にはセルビアとともにユーゴスラビア連邦共和国を構成し、その後もセルビアとの連合関係を維持しました。
・1999年
コソボ紛争では、モンテネグロを含むユーゴスラビア連邦共和国が紛争当事国となりました。一方、モンテネグロではセルビアとの距離を取る動きも進み、1990年代末から独自の経済政策などを進めるようになりました。
・2003年2月
ユーゴスラビア連邦共和国は国家連合「セルビア・モンテネグロ」へと移行しました。両国は緩やかな国家連合を形成し、将来的な分離独立の可能性も制度上認められていました。
・2006年5月21日
この日、セルビアからの分離独立の可否を問う国民投票が実施されました。独立には、投票率が50%を超えたうえで、投票総数の55%以上が賛成することが条件とされていました。
投票の結果、独立賛成が55%をわずかに上回り、独立が決定しました。そして2006年6月3日、モンテネグロは独立を宣言し、2007年10月には新しい憲法を制定しました。憲法制定に伴い、国名も「モンテネグロ共和国」から、単に「モンテネグロ」へと変更されました。

上記でも触れましたが、モンテネグロは、ユーゴスラビア紛争やコソボ紛争という大きな紛争の影響を受けています。モンテネグロ自身がこれら二つの紛争の主な戦場となったわけではありませんが、ユーゴスラビア連邦の構成国として当事者となり、地域全体にも大きな影響を及ぼしました。どんな紛争だったのか簡単に触れてみましょう。
ユーゴスラビア紛争
ユーゴスラビア連邦が崩壊する過程で引き起こされた、1990年代の一連の武力紛争です。多民族で構成されるユーゴスラビアは、第二次世界大戦後、パルチザンの指導者ヨシップ・ブロズ・チトーのもとで社会主義連邦国家として再建されました。
その後、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナなどが相次いで独立を宣言し、各地で武力衝突が発生しました。モンテネグロはセルビアとともにユーゴスラビア連邦共和国を形成し、紛争の一部では軍事的にも関与しました。
コソボ紛争
バルカン半島南部のコソボを中心に、1998年から1999年にかけて発生した武力紛争です。ユーゴスラビア軍・セルビア側の治安部隊と、コソボの独立を求めるアルバニア系武装組織コソボ解放軍(KLA)との間で戦闘が行われました。
1999年3月24日から6月10日にかけては、NATOによるユーゴスラビアへの空爆作戦「アライド・フォース作戦」が行われました。最終的にユーゴスラビア軍などがコソボから撤退し、国連による暫定統治が始まりました。この紛争の結果、コソボでは大規模な人々の移動が発生しています。

モンテネグロのアンティークコインには、モンテネグロ王国唯一の国王となったニコライ1世に関連するコインがあります。アンティークコインの種類は少数ですが、独特のデザインを持つコインが多く、近年では海外のオークションにも出品され、高値で取引されています。
直径37mm、発行枚数301枚とされる非常に希少な大型金貨です。金品位は90%、重量は約33.88gです。ニコライ1世は、モンテネグロ公として即位した1860年から1910年まで国を治め、1910年にモンテネグロが王国となると、国王ニコライ1世となりました。1918年まで王位にあり、モンテネグロ王国唯一の国王です。
ニコライ1世は政治家・君主であるだけでなく、詩人としても知られており、モンテネグロの著名な愛国歌「Onamo, ’namo」の歌詞も手がけたとされています。
1910年に発行されたこの100ペルペラ金貨には、王国成立前のモンテネグロ公国時代の君主としてのニコライ1世が描かれています。表面にはニコライ1世の右向きの肖像、裏面には王冠を戴いたモンテネグロの紋章が描かれています。裏面の銘文も「モンテネグロ公国」を意味するものとなっており、1910年に王国となる前の発行であることが分かります。
このコインは発行枚数が非常に少ないため、海外オークションなどで高額で取引されています。希少性や保存状態によって価格は大きく異なりますが、数千万円相当の評価が掲載されることもあるほど、コレクターから注目されている金貨です。
直径37mm、発行枚数500枚のレアな大型金貨です。ニコライ1世は1860年にモンテネグロ公として即位し、1910年に即位50周年を迎えました。この節目を記念して発行されたのが、ゴールデン・ジュビリーの100ペルペラ金貨です。
表面には月桂冠を被ったニコライ1世の左向きの肖像が描かれ、1860年から1910年までの50年間を示す「1860-1910」の年号も刻まれています。裏面には王冠を戴いたモンテネグロの紋章が描かれ、「モンテネグロ王国」を意味する銘文が刻まれています。
この金貨は、モンテネグロが王国となった1910年に発行された記念金貨であり、同じ1910年の100ペルペラでも、王国成立前に発行された通常の100ペルペラ金貨とはデザインや銘文が異なります。
複雑な歴史を経て独立を回復したモンテネグロには、わずかな期間に発行された非常に貴重な金貨がありました。特に1910年に発行されたニコライ1世の100ペルペラ金貨には、モンテネグロ公国から王国へと移り変わった歴史が刻まれています。
発行枚数が非常に少ないことに加え、王国成立という歴史的な転換点に発行されたことから、現在でもアンティークコインの中で高い希少性を持つ金貨として注目されています。
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