名誉革命といわれる理由
それまでの紛争や暴力での権力移行であった革命の形が「名誉革命」で変わりました。「ジェームズ2世」による権力絶対主義、反動的やり方に対して、1688年から1689年に起きたクーデター事件は、無血の革命であったため「名誉革命」と呼ばれました。
イングランド(イギリス)の「名誉革命」は「無血革命」だった
歴史的にみて19世紀に入るまでヨーロッパ各地を初め沢山の革命が起こりましたが、紛争、暴力など流血やトラブルがなく権力サイドが自らその権力を国民に明け渡したことは、ほとんどありませんでした。
その稀なケースの一つにイングランド(イギリス)の「名誉革命」(1688年から1689年)があります。
今日まで続く議会政治の礎を築いたといわれるイングランドの「名誉革命」は、無血のクーデターによる革命「無血革命」とも呼ばれています。
この「名誉革命」のきっかけをつくったとされるチャールズ2世の弟であるヨーク公ジェームズが1685年「ジェームズ2世」として即位します。
しかし「ジェームズ2世」は、ピユーリタン革命(清教徒革命)時にフランスに亡命、その際、カトリックに改宗、カトリックの復活を推し進めようとします。
当時のイングランド市民の大半がプロテスタントだったため、「ジェームズ2世」のやり方は、国民の支持を得られない状態にありました。
加えて「ジェームズ2世」は、カトリック系の議員に重用して要職に付けたり、一方では重要ポストに付いていたプロテスタント系を排除するなど、議会と国王の間に対立が生じる中、反動的な絶対権力の政治体制を推し進めて行きます。
一方、当時のイングランド市民といいますと17世紀中ごろの市民革命である「ピューリタン革命」の影響もあり、王制の絶対権力の政治体制に拒否反応を示していました。
こうした中、カトリック再生化政策と議会運営無視の「ジェームズ2世」に対して、議会により「ジェームズ2世」は国外追放され、「ジェームズ2世」はフランスに亡命します。
その後「ジェームズ2世」の娘「メアリー2世」とその夫である後の「ウィレム3世」が即位、イングランド他2国を夫婦で共同統治、市民に対しては王権の制限や議会の権限を定めた重要文書「権利の章典」にサインします。
ここに「名誉革命」は、流血を見ない「無血」のクーデターにより実現しました。
「ウィリアム3世とメアリー2世夫妻」の硬貨(金貨)が1691年に発行されています。
この硬貨(金貨)には、名誉革命後に夫妻で共同統治のイングランド国王になった二人の肖像がデザインされており、大変特徴のある大変希少な1枚で、売却価値も高い金貨となっています。
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