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「エリザベート」は、オーストリア帝国の皇帝「フランツ・ヨーゼフ1世」の皇妃。夫「フランツ・ヨーゼフ1世は、オーストリア帝国(オーストリア=ハンガリー帝国)の国民の父とも称された皇帝です。
一方、皇妃「エリザベート」の生涯は、姑との折り合いが悪く宮廷から脱出など、現実からの逃避生活の側面と自由気ままに生きた側面を持った皇妃でした。
全名「エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ」(1837年〜 1898年)は、オーストリア帝国の皇帝でありハンガリーの国王を兼ねていた「フランツ・ヨーゼフ1世」(在位:1848年 - 1916年)の皇妃です。
バイエルン王家であるヴィッテルスバッハ家の流れを組む家に生まれ、シシィの愛称で親しまれていました。1853年、母方のイトコに当たる皇帝「フランツ・ヨーゼフ1世」から求婚され、1854年「エリザベート」は16歳で結婚、オーストリア皇妃となります。
その時の成婚を記念して銀メダルが発行されています。
表面には「フランツ・ヨーゼフ1世」と「エリザベート」の肖像、裏面には2人の結婚式の様子が描かれています。
大変美しいデザインが人気で、売却価値の高いメダルとなっています。
夫の「フランツ・ヨーゼフ1世(1830年〜 1916年)は、約70年近くの長い在位の中で、国民から尊敬と親しみを抱かれ、オーストリア帝国(オーストリア=ハンガリー帝国)の国民の父とも称されました。
しかし、プロセインとの戦争に敗れハンガリーを分離します。またバルカン半島への進出により、ロシアとの対立を深め第一次世界大戦をまねき、戦況不利の中、1916年に死去します。
皇妃「エリザベート」は、「フランツ・ヨーゼフ1世」の母であるゾフィー大公妃との確執や宮廷の厳格さに耐えられず、また皇后としての職務を放棄、宮廷からから逃避し欧州、トルコ、アフリカなどを数千キロにも及ぶ放浪を続け、放浪の皇妃ともいわれました。
一方、ダイエットや乗馬、フェンシング、競歩等に励み美と健康を追求、今でいうファッションモデルのようなプロポーションを維持していたそうです。
「バイエルンの薔薇」とも称えられ、輝くばかりの美貌で行く先々で人気を集めた「エリザベート」でしたが、1889年我が息子ルドルフ皇太子の心中という悲劇に見舞われます。
そして彼女は死ぬまで喪服を脱ぐことはなかったといわれています。
その「エリザベート」は1898年9月、旅先のスイス・ジュネーヴ・レマン湖畔で、イタリア人の無政府主義者に襲われその生涯を閉じます。
「エリザベート」の生涯は、自由気ままに生きた側面と現実からの逃避の生活という二面性がありましたが、その美しさに誰もが魅了されていたことは事実です。
彼女の美貌は宮廷画家ヴィンターハルターによる肖像画に余すところなく表現されています。
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