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「ヘンリー8世」はイギリスの王政による絶対主義の基盤を築いていきます。
その中でローマ教皇パウルス3世との対立からイギリスの宗教改革に断行、また王室内においては6人の王妃と結婚、離婚を繰り返し、中には王妃を処刑するなど非道な国王として面を見せています。
兄の早死により「ヘンリー8世」は、1509年、イギリス国王に17歳で即位します。
「ヘンリー8世」は父の「ヘンリー7世」の路線を継承し、テューダー王朝の第2代の国王(在位期間1509年〜1547年)としてイギリスの王政の権力強化に努め、絶対主義の基盤を築いていきます。
「ヘンリー8世」は、ローマ教皇パウルス3世と自らの離婚問題から対立して追放され、それを契機にイギリス宗教改革を断行します。
また、イギリスを一つの主権国家としての統合に向けて着手し、イギリスのみでなくウェールズ、スコットランド、アイルランドの統治権も行使します。
宗教改革については絶対王政下、議会との協調で進めるなど、議会との概ね良好な関係を築き、当時ヨーロッパの弱小国に過ぎなかったイギリスを、後の大国に発展する土台を作ったと言うことができます。
一方、 「ヘンリー8世」は生涯で6人の王妃を迎えましたが。いずれも男子の後継者に恵まれませんでした。
それまでのイギリスには女王はいませんでした。
最初の結婚は1509年、兄アーサーの寡婦であった「キャサリン」(スペイン王女)と結婚します。
6人の子供を儲けますが、うち5人までが死産か流産、あるいは早世し、残ったのは女の子「メアリー(後の「メアリ1世」)だけでした。
離婚を決意した「ヘンリー8世」はローマ教皇と対立し破門され、キャサリンを離別します。
2人目は「アン・ブーリン」(宮廷の侍女)と結婚しますが、彼女との間にも女子「エリザベス(後のエリザベス1世)」だけでした。その後、処刑(斬首刑)されます。
3人目は同じく宮廷の侍女だった「ジェーン・シーモア」と結婚し、ようやく男子「エドワード(後のエドワード6世)」をもうけますが、ジェーンは出産時に死亡。
4人目の王妃として迎えられたのはドイツ貴族の娘「アン」であったが、彼女は英語が話せなかったのでまもなく離婚させられ、5人目の「キャサリン・ハワード」も不倫等で処刑(斬首)されます。
6人目最後の王妃「キャサリン・パー」だけが「ヘンリー8世」よりも長生きします。
この「ヘンリー8世」時代の代表的な金貨として「エンジェル金貨」がありますが、この金貨は、「薔薇」「h」「天使ミカエル:ロンドン塔」の刻印から正に「歴史的標本」、「中世の宝物」の金貨として、買い取り市場では高価な買取りとなっています。
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