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日本最初の貨幣(古銭)は「和同開珎」か「富本銭」か。貨幣文化の礎となった「皇朝12銭」。
平安、室町、江戸時代の推移とともに当時の為政者たち発行目的(軍事、財政、市場経済活動など)により様々な貨幣(古銭)が発行される。明治に入り「円」貨幣が。
日本で最も古いお金、当時の遣唐使が持ち帰った中国の開元通宝(西暦621年鋳造)をモデルに和銅元年(西暦708)に造られたのが「和同開珎」といわれていました。
この「和同開珎」の登場とともに幕を上げた、日本の貨幣文化、古銭文化。
それ以降250年の間に、当時の朝廷は12種類の貨幣「皇朝十二銭」を発行します。現代でも非常に買取り価値の高い古銭として知られています。
ただ、最近になって奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から出土した富本銭(ふほんせん)が「和同開珎」より前に造られた日本最古の貨幣ということに。
しかし、専門家のなかには「富本銭は厳密には貨幣ではなく、まじないに使われただけ」だの意見もあります。しかし、いずれにせよ価値が高いことは確かだそうです。
「皇朝十二銭」は、貨幣文化の礎を築きましたが、原料の銅不足や朝廷の力が弱まり、10世紀末には鋳造されなくなりました。
しかし、貴族政治の平安時代に入ると、政府が貨幣の発行を再開。武家政治の鎌倉時代、室町時代にかけて多くの貨幣が作られていきます。
この時代に鋳造された貨幣は、いくつか種類がありますが、平安時代に造られた「乾元大宝」と室町時代に造られた「永楽通宝」は有名で、その後の貨幣の価値を決める基準にもなりました。
中でも「乾元大宝」は少し状態が劣化していても、高価値の古銭として買取り評価が高いです。
一方、戦国時代に入ると、日本各地の大名が群雄割拠、戦国大名として軍資金の調達や家来の報償などに用いるため、自分の領内の鉱山を開発し、それを金貨や大判・小判の形に鋳造するなど独自貨幣も造りました。
例えば、豊臣秀吉が鋳造させた「天正大判」は、大きさ、重さなどで世界最大の金貨として有名です。
江戸時代に入ると、「慶長小判」、「天保小判」、「寛永通宝」、「天保通宝」などが造られ日本独自の貨幣制度が出来上がります。
同時に、江戸時代の中頃に入ると貨幣の不足などが表面化、各藩は藩の中でのみ通用する「藩札」という独自の紙幣を発行しました。これにより幕府による貨幣と各藩による藩札という2つが共存する独特な貨幣市場が形成されました。
明治時代に入ると1871年、私たちにも馴染みのある通貨「円」が誕生しました。
1882年に「通貨の価値と供給を安定させる」統一機関として、日本銀行が設立されました。
その後、発券された日本銀行券は、日本銀行法を根拠に日本銀行のみで発行・流通されています。一方、過去に発行された日本銀行券の中には各種法令で運用停止になっているものあります。
このように、わが国唯一の発券銀行として紙幣を発行することで、貨幣の供給・流通・管理の安定化に寄与しました。
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