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日本で最古のお金と言われる「無文銀銭」や「富本銭」が造られたのは、7世紀半ば頃です。
その後、708年に「和同開珎」などの「皇朝十二銭」が発行され、「無文銀銭」や「富本銭」は殆ど流通しなかったようですが、「和同開珎」は「富本銭」よりもはるかに広範囲に流通させることに成功しました。
日本のお金の歴史はとても古く、日本に最初のお金が誕生したのは7世紀半ばごろとされています。
そのころは「無文銀銭」や「富本銭」という貨幣が造られていました。
「無文銀銭」は滋賀県の崇福寺跡(668年創建)から11枚銀銭が出土しました。
実はこの銀銭こそが日本でつくられた最も古いお金とも言われています。
「富本銭」は、7世紀後半683年の天武天皇の時代に造られたとされ、平成10年奈良県明日香村の飛鳥池工房遺跡から見つかりました。
富本銭は以前、昭和60年にも平城京跡などで出土していましたが、まじないなどの目的で製作されたものと考えられていました。
708年には「和同開珎」という貨幣が造られ、初めて全国に広く流通しました。
西暦621年に造られた中国の「開元通宝」という優れた貨幣を遣唐使などによって日本に伝えられ、この開元通宝を参考にし、和銅元(708)年に「和同開珎」が造られました。
「和同開珎」が造られた背景には、当時の朝廷は貨幣を発行して力の強さを広く示そうとする強い思いがあったといわれています。
「続日本紀」によると武蔵国、現在の埼玉県から銅が献上され、年号を「和同」に改め貨幣を発行したということです。
朝廷は「和同開珎」を流通させるため、税を貨幣で納めさせたり、たくさん蓄えた者に官位を授けたりしました。
また和同開珎が登場したことによって、奈良の都人は暮らしに必要な品々を容易に売買できるようになったと言われています。
こうして708年(和銅元年)から963年(応和3年)平安時代にかけてつくられた12種類の貨幣「皇朝十二銭」が鋳造されました。
当時の朝廷が発行した12種類の銅銭ということから、これらは「皇朝十二銭」または「本朝十二銭」とも呼ばれています。
当時の朝廷は、皇朝銭を広く市場に流通させようとしましたが、奈良時代には皇朝銭は畿内近国、つまり今の近畿地方くらいの範囲に限られ流通していました。
また、銅不足から新貨のたびに銅貨の含有率が減少、当時の政府や通貨への信用はがた落ちになり民衆の銭離れを招きました。10世紀末には皇朝銭の鋳造は中止されそれ以後、約600年間は、公鋳貨幣が造られなくなるのです。
こうした最古の古銭をはじめ、古い古銭は歴史的価値もとても高く、売る場合にはかなりの高額が期待できます。
また古銭は、その保管状態によっては売却の価格は大きく変わります。
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