共産圏では初の開催となったモスクワオリンピックでしたが、ボイコットが発生し60ヶ国が不参加、スポーツが東西対立の道具とされた「新冷戦」時代の愚行とも言われました。
日本の不参加に、柔道の山下泰裕選手、マラソンの瀬古利彦選手など多くの日本選手は、涙ながらに断念しました。
「モスクワオリンピック」は、1980年7月19日から8月3日まで、ソビエト連邦(現・ロシア連邦)の首都モスクワで開催された第22回夏季オリンピックです。
共産圏では初の開催となったオリンピックでもありました。
しかし、その「モスクワオリンピック」では、ボイコットが発生しました。
当時、ソビエト連邦は東欧諸国のリーダー的存在でありましたが、一方でアメリカと緊張状態にありました。
こうした状況下、1979年にアフガニスタンへ軍事行動を起こし侵攻、世界を強い衝撃を与えました。こうしたソ連の行動に対して、当時のカーター・アメリカ大統領がモスクワオリンピックへの不参加を表明、日本やドイツ(西ドイツ)など多くの国が、オリンピック参加を集団ボイコットする事態に発展しました。
スポーツが東西対立の道具とされた「新冷戦」時代の愚行ともいわれ、この時スポーツ大国の東ドイツは参加を熱望していたとされ、ソ連と東欧諸国に亀裂が入る一因となったといわれています。
結局、中国も含め60ヵ国が参加せず、81ヵ国の参加によって8月3日まで開催されました。
イギリスやフランス政府の方針に背いて両国のオリンピック委員会は、選手を国の正式な代表としてではなく、個人としての参加を認めて派遣しました。
日本には柔道やマラソンなどメダルが有望視されていた選手が多くいました。総勢178人の選手団が派遣予定でしたが、不参加決定で日本選手団は涙に暮れました。
ちなみに、次の1984年の「ロサンゼルスオリンピック」は、ソ連及び東欧諸国が不参加しました。その理由はカリブ海の島国グレナダで起きたクーデターに対するアメリカ軍侵攻への抗議というものでした。
このモスクワオリンピック開催を記念して、1977年から1980年にかけて記念硬貨が発行されています。
「モスクワ五輪1980年記念 150ルーブルプラチナコイン」(鋳造GONZAK造幣局、質量15.5g、直径28mm。品位Pt1000)。
この150ルーブルプラチナコインは1977年から1980年にかけて、5種類発行されています。
「モスクワ五輪1980年記念 100ルーブル金貨」(GONZAK造幣局、質量17.28g、直径30mm、品位K21.6)など。
発行年によりデザインが異なるものがあります。
また銀貨としては「モスクワオリンピック10ルーブル銀貨」(質量33.3g、直径38.5m、品位Ag900)。
こうした「モスクワ五輪記念硬貨」は、古銭・貴金属のお店のホームページなどで買取り価格などを知ることができます。
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